過去拍手お礼文





私は猫。名は生良。
ざわざわと人が集まる音に、彼らにとっての頭上からその様子を見下ろす。
一つの年が巡る中でもっともにぎわっている我が友人の場に、目を細め、待ちわびているであろう友人の下へ向かう。
私の吐き出す空気を白く染める寒さは、気にしないことにした。






『失礼するぞ』
『そう思うのならば少しは遠慮をしろと言うのに』


久方ぶりの旧友の姿に、立てていた肘をはずして顔をあげる。
ゆらりと空間を歪ませて、私の敷地内に入ってきた旧友はその言葉を半分に聞いて音もなく宙に浮いていた体を着地させた。
同時に二つある尾をゆるく振り、歪んだ空間からごとごとと何かの物を落とす。


『おや、今回の土産は酒ではないのかな?』
『最初から酒を飲むつもりか?随分と物好きになったものではないか』
『お主の持ってくる酒は絶品だからなぁ・・・』


棚に飾られている神酒を取り出し、器に注ぎ外の様子を見ると、今年も随分多くの人がここに集まっているようだ。
外の様子が難なく見える位置に移動し、注いだ酒をあおり胡坐をかくと、旧友も私の隣に腰を落ち着け、色違いの視線を人に投げかけた。


『今年も随分と人気なようだな』
『まぁ、この里には他の神社がないからなぁ』
『お主がサボらずに加護を与えているからだろう、それを彼らも確信とまではいかないが、わかっている』
『だが結局は彼ら自身の願いの強さしだいさ。私はあくまでも加護を与えるのみ、願いを叶えるのではないからな』


酒をあおりながら、見る彼らの表情は、笑顔もあれ、真剣な顔もあれ、愛しむものもあれ・・・・・・だが決して絶望した類の顔は無い。
これも、時のなせることか。
私のもとへ訪れるものには、そのようなものが無いということはわかってはいるが、それでも、嬉しいものには変わりはない。
口元が笑みの形になるのを、押さえ込む理由は無かった。


『そういえば』
『なんだ?旧友よ』
『私に名が付いた。人間の子に与えられた名だ』
『・・・なんと』


そういえば、という感じの切り出しに、なんとなく答えてみれば、そうか、この猫神にも名が付いたか。


『友人である私にはお主に名を付けることは許されなかったからな、これでやっとお主のことを呼びやすくなるというものだ。
して、何と名づけられたのだ?』
『生良という。これでやっと対等に話し合うことができるというものだな、尊よ』
『そうだなぁ・・・。では、祝いの酒といくか、生良よ』
『まったく、お主はほんとに酒が好きだな』
『それでこそ私ではないか。どうせ年に一度しか会えぬのだ』


宙に浮く器に酒を注ぎ、新たに歪んだ空間から出てくる酒に期待の声を上げ、一気にあおると、下から子供の視線を感じた。
そちらのほうは見もしなかったが、そうか、あれが生良の名を授けたという人間の子か。
金と黒の子を覚え、その二人には他のよりは少し上質な加護を与えよう。
それが、私からの礼だ。
なにせ、この旧友の名を口にしようとする度に、その存在そのものがないことに気付き、どう呼ぼうか迷うのは面倒だったのだ。
喜べ、そして遠慮せずに、加護を受けるが良い。







年の初めにいつも訪れるのは、旧友のもと。
酒を土産に初詣に訪れる人を眺めながらたわいも無い話をつらつらと続ける。
遠くの神はどうしてるとか、最近の子供は個性豊かだとか、相変わらず気まぐれ生活を続けているのかとか。
私は猫。名は生良。
たまには神である旧友の元を訪れることもあるただの猫だ。




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私は猫。名は生良。
うつらうつらと里にて惰眠をむさぼっていたら、陽が昇るか昇らないかという時間帯にも関わらず鍛錬をしている子供を見かけた。
あんまりにもその姿が必死だったものだから、その子供の後を追うことにする。
我ながらに好奇心はいつまでたっても旺盛だ。







静まり返っている里。
聞こえるのは自分の荒い息音のみ。
重い足を無理矢理に上げて最後のダッシュ。
太陽が昇りきる前にゴールへ着かなければ腕立て五百回が待っています。
自分でも相当きついハードルだとは思うのです。が、しかし、僕はそれくらい鍛錬をしなければ他の人とは対等の場にすら立てないのです。
だから、極限まで自分を高めることに、躊躇いはありません。

見えてきたゴール。 白み始めてきた空。 重くなるばかりの体。

修行場所である広場の僕の付けた印がある木にタッチするのと、太陽が出たのは同時でした。
いえ、僕が視界に入れなかっただけで、おそらくは太陽のほうが早かったです。
・・・腕立て五百回、決定です。


『いや?お主のほうが早かったぞ』


ぜぇぜぇと煩い息音の合間に聞こえてきた言葉に、気配を感じることのできなかった僕はしかし、体を起こすことができません。
修行では限界まで自分を追い込むのですぐに体力を回復させることができないのです。
酸素不足でかすんでいる視界に入り込んできたのは、黒い塊。
輪郭で判断するに、猫のようです。
尻尾が二つあるように見えるのは、やはり視界がぼやけているからでしょうか?


『随分と苦しそうだな。大丈夫か?』
「い、いえ・・・・・・、しゅ、修行です、ので」
『ほぅ、お主も忍びか?』
「、えぇ」


大きく息を吐いてから吸って、やっとのことで上体を起こす。
しかし、あたりを見回してみても、広場には人っ子一人、誰もいません。
僕を心配してくれた人はどこに?
もしや僕が気配を悟れないだけで、どこかに隠れているのでしょうか?


『いや、私は気配を殺してもいないし、姿を隠してもいないさ。私はここだよ』
「・・・はっ!?ま、まさかあなたは猫さんでしたかッ!?」
『そうそう、その猫さんだ』
「び、びっくりです。猫さんが喋るなんて」


実は師匠の亀さんにもびっくりしましたが、今のほうがびっくりしました。
猫さんの名前は生良さんというらしいです。


『で?こんな早朝から修行をしていたのか?』
「そうです。僕は他の人よりも努力をしなければならないのです!!」
『そうか。・・・いつかその努力の成果が出るさ。がんばりなさい。それは決して裏切ることはないからな』
「はいッ!!ありがとうございます!!がんばります!!」


猫さんは目を細めて、一瞬姿が歪んだかと思うと跡形もなく消えてしまいました。
すごいです。気配もなにも感じられません。
僕も努力すれば、あのようなことができるのでしょうか。







ひたむきに、前向きに頑張る子供がいた。
あのような姿を見ると応援したくなるのは見守る側としては当然のことだと思う。
そして、怠け者の私には到底できないものだとも思う。
私は猫。名は生良。
地道な努力はできないが、応援は惜しみなくするただの猫だ。






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私は猫。名は生良。
ちらほらと降りつづける雪と、白く染まった雪景色を眺めて、久しぶりに温泉にでも入るかと思案する。
湯気のむこうに見る雪景色、風流があっていいじゃないかとぐるりと首をまわした。
さて、どこからの眺めが一番良いだろうか。
候補をいくつか頭に思い浮かべ、その中から一つを選び出して、私はとんだ。








今日はなかなか寒さが厳し過ぎるらしく、なかなか獲物が来てくれん。
原稿の締め切りもずいぶん差し迫っているというのに資料が無いとどうしようも無いしのぅ。
かと言って影分身を作り変化をさせて湯船に入らせても興奮はせんし、虚しい気分にさせるだけじゃしのぅ。
そもそもこの場所じゃぁ、誰も来ないか・・・。
脱衣所からこの湯にたどり着くまで、普通に歩いたら五分くらいはかかる距離じゃしなぁ。
どんなにあったまっても、この距離だとすぐに冷えてしまう。


「・・・今日は収穫なしかいのぅ」
『随分と暇をもてあましているようだな』
「ひょ?」
『目の前にこんなに良い景色の湯があるというのに、入らないのか』


振り返ると、いるのは一匹の仔猫。その他には姿も気配も見当たらない。
気配も何も感じさせずに背後に回られていたという事態に、反射的警戒心で武器に手が伸びる。
しかし、敵意がないのを見て、すんでのところでそれを抑えた。
その手の動きを紛らわすようにして、頭をかく。


「あいや、・・・今声かけたのは目の前の猫か?」
『正解だ。・・・で、入らないのか。私は入らせてもらうぞ』
「あ、あぁ。ご自由に」


というか、そもそもワシの湯ではないしのぅ。
そういえば猫というものは水を恐れるものではなかったかな、と思っても、真っ黒な猫は悠々と湯船に入っていく。
その姿をみて、ようやく相手している猫がそこらへんにいる猫ではないということに気付いた。
何せ尾が二つあり、しかも色違いの瞳、そして言語を扱う猫なんてそうそういないだろう。
しかし、害を成す相手ではないことは確かだ。
・・・・・・・・・。
そうだなぁ。


「今日はもう誰も来んだろうし、ワシも湯船に浸かることにするとしようかのぅ」
『それがいい。ここからの景色はとても良いからな』


体も冷え切ってしまったことだし、こんなあったかそうな湯を味あわないまま帰ってしまうにはもったいない。
それに、猫と一緒の湯に入るなんて体験、滅多にあるものじゃない。
これも何かのネタになるといいがのぅ。
そう考えるのは、小説家らしい思考だろうか。
そもそも、ワシは忍者だっつーの。
そう考えているワシの目の前で猫は目を細め、景色に見入っている。
服を乱暴に脱ぎ、湯に浸かる。
最初は熱すぎるくらいだったが、すぐにそれにもなれた。
確かに、良い湯だのぅ・・・。そして、ここから見える景色も絶景だ。
鼻歌でも歌いたい気分になり、すぐに思い浮かぶ歌を歌い始めた。







暖かな湯が冷たい体を温めるのを感じながら、絶景を楽しむ。
隣に入ってきた男も、ご機嫌に酒でも飲みそうな気分だ。
ゆらゆらと体を浮かせて溺れないように気をつけて、時折なだれてくる雪の塊を避ける。
私は猫。名は生良。
能力を使わなければ顔が水面から出なくなってしまうほど小さな体の猫だ。