その日、ある花屋に珍しい客が来た。
手の中に代金のみを持った彼は、店の外に並んでいる花たちをじっと見て動かない。
その姿は、色鮮やかな花屋の雰囲気にそぐわなかった。
「あら?珍しいじゃない、がこんなとこに来るとは思いもしなかったわー」
「・・・・・・いのか」
勝気そうな彼女に、無表情に返した彼。
無言に、彼女がここにいる理由を問うと、なんてことのないように、「ここ、私の家のお店だものー」と笑って答えた。
彼女は彼の視線を追って、店先に並んだ花たちを見る。
今日もたくさんの花が、私を買って!!と主張するように鮮やかに咲いていた。
いのは何か思いついたのか、にやにやと笑いながら肘でをつつく。
「何々ー? 彼女へのプレゼントでもするわけー?」
「・・・・・・」
はひくりとわずかに反応し、それはいのをおおいに満足させた。
表情は変わらないが、わずかに視線が泳いでいる。
そして、一通り視線をさまよわせたは、最後にいのののところでひたりと止めた。
「いの、花を選んでくれないか」
差し出された代金を反射的に受け取って、いのはさらに笑みを深くした。
手の中にある代金は、花を買うにしてもプレゼントにしても、彼の年齢を考えると相当な額だ。
「よっぽど大切な恋人さんなのねー。 いいわ、とびっきりのサービスをしてあげる!!」
彼はようやく表情を崩した。
それだけで、彼の取り巻く雰囲気が変わる。
「あぁ、俺の最愛の女性だ」
普段の彼からは絶対というほど見られない笑みに、顔を少しだけ赤くしながらいのは、そんな風に誰かから思われてみたいなぁと、ぼんやり思う。
そして、にここまで想われる恋人はきっと幸せなのだろうと、少しの嫉妬とともに感じるのだった。
ぱさり、と軽い音とともに、今さっき買ってきた花束が地面に落ちる。
はうつろな目で、花束に視線を落とし、微動だにせずただ突っ立っていた。
無表情なはずの彼の姿なのに、その身に纏う雰囲気はどことなく暗い。
しかし、深い森の奥深くのそこには、それを認識する人は誰一人としていなかった。
そこは、の最愛の人の墓場。
墓標も印っもないそこには、愛しい人が眠っている。
長い長い時間、微動だにしないに様子を伺っていた動物たちも警戒を解いたのか、そろりそろりとに近づいていった。
はそれに気がついていた。 だが、それでも何の反応もしない。
動物たちは、ゆっくりと距離を縮めていく。
その目当ては、の落とした花束だ。
ラッピングでさえ細いツルを編んで作られた花束。
きっと動物たちにとっては興味をそそられるものであるのだろう。
ざわり、風が吹く。
少し強めの風は、の長い髪を揺らし、木々をざわめかせ、花束を転がした。
一匹の動物が、花束に到着し、においを嗅ぎ、口に含む。
動物たちが、群がってくる
そして、あっさりと花束は跡形もなく無くなった。
は、それでも動かない。
愛しい愛しい私の子
ずっと元気でいてくれればいい
友をつくり
愛を知り
子を育て
いつまでもいつまでも元気でいてくれたら
こんなに嬉しいことはないの
愛しい愛しい私の子
いつまでもいつまでも健やかであれ
動物たちの耳が、ひくりと動く。
が、歌を歌い始めた。
小さな、動物たちがわずかに聞き取れる程度の音量で、それでも確かに。
誰に聞かせるでもなく、無意識に口からこぼれだすように、つらつらと抑揚もなく。
それはある意味では歌とは言えない代物だ。
、もう寝なさい
ほら、一緒に寝ましょうよ
歌を歌ってあげる
たくさんたくさん覚えるまで歌うからね
覚えたらの子供にも歌ってあげるのよ
私も母に教えてもらったの
もしかしたら母もそうやって歌を覚えたのかもしれないね
、おやすみなさい
いい夢を、見るのよ
は歌う。
何度も何度も聞かされて、覚えてしまった歌を歌う。
最愛の人。
あのころの、一番美しかった姿、死ぬ間際の骨と皮だけの姿ではなく、自分に思う存分の愛情を注いでくれたその一瞬の姿。
向けられた笑み、暖かい抱擁、やわらかい頬、安らげるぬくもり、安眠へといざなう声。
――そう、彼女はよく俺にこの子守唄をうたってくれていた。
記憶にある中で、一番最初で唯一の記憶に残っている唄。
この唄を、誰でもない、彼女のために、今は歌おう。
今日は、最愛の母の命日。
というわけで十万ヒット企画「014.子守唄」でした☆
椎さま・・・ど、どうでしょうか???
お、遅くなってすみませんでした!!
あんまり過去が出てないような、なんですが、煮るなり焼くなりお好きなようにどぞ!!
それでは、リクありがとうございました!!!